MENU

板東英二は何をしたのか?テレビから消えてしまったのはなぜ?

話題のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」や先日3月30日に放送された、「日立 世界・ふしぎ発見!最終回スペシャル」で久しぶりに話題の人になっている坂東英二さん

全盛期だった1980年代には「日立 世界・ふしぎ発見!」のほか、数多くのクイズ番組を始めドラマや映画に俳優としても出演するなどかなりの露出度を誇りましたが、ある時期から現在にいたるまで、突如としてパッタリとTVから姿を消してしまいました。

今回はそんな板東英二さんに一体何があったのか振り返ってその経歴とともに調べてみましたので、ぜひ最後までごらんください。

目次

板東英二がテレビから消えてしまったのはなぜ?

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/04/13/kiji/K20140413007967530.html

タレント・俳優として大活躍していた板東英二さんがテレビから消えてしまったのは、2012年に発覚した所得隠し問題と2020年の大怪我が原因。

板東英二さんは、1988年から国税庁確定申告PRキャンペーンのポスターキャラクターを務め、毎年名古屋国税局確定申告を行う様子がテレビで報道されるなど、国税局の顔として2007年には感謝状まで贈られていました

ところがその5年後の2012年、名古屋国税局板東英二さんの個人事務所を調査したところ、2011年までの7年間にわたって約5000万円もの申告漏れが発覚。さらに再調査したところ所得隠しも含めて総額7500万円にも上ることが発覚します。

個人事務所は事実を認めて、すぐに修正申告と追徴税の支払いで対応しましたが、それが板東英二さん自身の指示による所得隠しの可能性があったため、TBS はニュースで「架空発注などを含む悪質な所得隠し」と報じました。

この流れを受けて年明けの2013年1月から各テレビ局は板東英二さんのテレビ番組出演を順次見送ることを決定しました。

申告漏れの理由は頭部への植毛?

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/11/11/kiji/K20131111006987970.html

2013年11月には記者会見を行い申告漏れの理由として、20年ほど続けていた頭部への植毛に対する税務上の「経費」の扱いで、国税当局と認識の違いから起こってしまったとして話題になりました。

吉本興行と契約 一時は活動を再開

https://www.oricon.co.jp/news/2034032/full/

この後8カ月の活動自粛を経て、2013年8月にイベントのゲスト、11月にインターネットテレビのゲストとして活動を再開、12月のラジオ番組でのゲスト出演で地上波での活動も再開しました。

そして周りのタレントたちからの後押しもあって吉本興業と契約、2014年2月には関西テレビ「さんまのまんま」、4月には毎日放送「MBSヤングタウン日曜日」、5月には東京MXテレビ「5時に夢中」といった番組に出演し、テレビやラジオの生放送に復帰する一方、2016年9月にはYouTube『B.E.(Boiled Egg)チャンネル』も開設していました。

吉本興業との契約解除と頭の大怪我

しかし2018年になって吉本興行との契約を解除し、細々とラジオでの仕事をしていたさなか、2020年7月22日に毎日放送での番組収録に姿を見せなくなり、自宅近くで転倒し、頭に大怪我を負っていたことが判明します。

この大怪我を負った以降、板東英二さんは2024年現在にいたるまで完全に表舞台から姿を消してしまうことになります。

2023年の週刊誌で取材を受けた親類の方の話によると

「行方がわからなくなっている。生きているのか、死んでいるのかもわからない・・・」

とのことで、どこかでひっそりと療養中なのではとも言われているようです。

もともとは野球選手?

https://www.news-postseven.com/archives/20200601_1567417.html?DETAIL

タレント・俳優として大活躍していた板東英二さんは、もともとは甲子園を沸かした名選手で、その後中日ドラゴンズでもエース級の活躍をした名投手でした。

  • 本名: 板東英二 
  • 生年月日:1940年4月5日
  • 年齢:83歳
  • 出身:満州国 東安省
  • 身長:170センチ

平成時代にあってはテレビタレントのイメージしかない板東英二さんですが、もともとは高校野球徳島商業高校の選手でした。

投手として1958年の夏の甲子園大会での準々決勝で、魚津高校村椿投手との18回にわたる投手戦を投げぬいて25奪三振を記録した試合は今でも高校野球史に残る名勝負として語り草になっています。

その後は1959年には、王貞治さんよりも高額、現在の貨幣価値で数億円にも上る契約金で中日ドラゴンズに入団し、入団一年目から1軍で4勝、2年目に10勝を上げ同年オールスターゲームにも出場しました。

1965年には12勝7敗、防御率2.25の成績を残し、1966年には対巨人戦にてリリーフ登板し、日本人投手として初の「たった1球での勝利投手」になるなど、1969年に引退するまでの11年間で、計435試合に登板し77勝65敗防御率2.89の成績を残しました

テレビ・映画でも大活躍

板東英二さんはテレビタレントとしても活躍したほか、俳優としてドラマや映画でも活躍しました。

人気テレビ司会者として活躍

https://www.dailymotion.com/video/x6940yq

板東英二さんは野球選手を引退後は一時中部日本放送での解説者をつとめていましたが、上岡竜太郎さんと知り合ったことからラジオ番組のパーソナリティを務め、1980年に活動の拠点を関西へ移して漫才などにも挑戦。

1980年代の土曜昼に放送されていた「ノンストップゲーム」(関西テレビ)では司会として人気を博し、1984年、フジテレビ主催の「第12回 日本放送演芸対象」で、最優秀ホープ賞も受賞しています。

1980年代から2001年ごろまで、クイズ番組に司会および解答者として長寿番組「日立 世界・ふしぎ発見!」のパネラ―の他、「クイズのりもの講座」「わいわいスポーツ塾」「マジカル頭脳パワー!!」「スーパークイズスペシャル」「クイズ!純粋男女交遊」といった多くの番組でMCを務め、中でも「マジカル頭脳パワー!!」では、相方の永井美奈子さんやパネラーたちとの絶妙なやりとりが人気となり、ピーク時には毎週20%を超え、時には30%台に達するなど驚異的な高視聴率番組となり9年間という長期続くロングラン番組となりました。

俳優業にも進出

https://note.com/kind_zinnia694/n/nc6ab7e4b8202

テレビMCタレントとして大活躍していた1984年には、ほんのチョイ役のつもりで出演依頼を引き受けた「金曜日の妻たちへⅡ男たちよ、元気かい?」で俳優デビュー。

翌1985年には「毎度お騒がせします」中山美穂さんの父親役、やはり「金曜日の妻たちへⅢ恋に落ちて」では小川知子さんの夫役、2007年の「華麗なる一族」には通産大臣役で出演したほか1993年のNHK朝ドラ「ええにょぼ」にも主役の父親役で出演しました。

そして、1989年には向田邦子原作の映画「あ・うん」高倉健さんとも共演し、自身も同年の第二回日刊スポーツ映画大賞、翌年には第13回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、第32回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞しています。

なお高倉健さんとは、その後も「四十七人の刺客」「鉄道員(ぽっぽや)」で共演しています。

まとめ

以上、板東英二さんがテレビから姿を消してしまったのは

  • 2002年に発覚した自身の多額所得隠し問題
  • 2020年に発生した頭部の大けが

がその理由でした。

あらためて板東英二さんの活動をふりかえってみると、高校野球での歴史的試合から始まって、プロ野球での活躍、そしてテレビタレントとしてだけでなく映画俳優としてまでも実績を残していることは、すごいことだと言わざるを得ません。

2024年現在、体調も宜しくないようで人にも会わない生活を送っているとのことで、業界内では「事実上の芸能界引退」と言われているようですが、なんとか元気な姿をもう一度見せて欲しいと思います

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次