舘ひろしさんと言えば今や押しも押されぬスター俳優ですが、実は当初は俳優志望ではなく、なんと医師を目指していたとのことで実際、地元の弟さんは医師をされているとか。
そんな舘ひろしさんの現在に至るちょっと破天荒な経歴を調べてみましたので是非最後までご覧ください。
舘ひろしは医師志望だった
ここであらためて舘ひろしさんのプロフィールを見てみましょう。
- 本名:舘 廣(たち ひろし)
- 生年月日:1950年3月31日
- 年齢:74歳(2024年5月時点)
- 出身:愛知県名古屋市
- 身長:181センチ
舘ひろしの父は医師だった
当時、勉強熱心だった父の栄一郎さんは、帰宅してからも論文を執筆して名古屋大学で博士号を取得するなど努力家で、舘ひろしさんが中学1年時に内科の”舘医院”を開業します。
また母親の初子さんもとても勤勉家で学校での成績もいつもトップだったとか。またしつけもきびしく母方の実家がある三重県まで一人で行かされたこともあったということです。
そんな厳格な家庭に育った舘ひろしさんは、自身も愛知県立千種高等学校時代は医師を目指していました。
受験に失敗して進路変更
その後、二浪して失敗してしまった舘ひろしさんは医学部受験をきっぱりあきらめ、絵が好きだったことから今度は建築家を目指そうと二年間の浪人の末、千葉工業大学へ進学します。
ところが大学へは入学するものの学生寮の厳しさに耐えられず夜逃げしてしまったとか。
アメリカ映画を見てバイクのとりこに
そして勉強そっちのけで、革ジャンにサングラス姿で大型バイクに夢中になり、やがて東京原宿で俳優の岩城滉一さんらとともに、硬派オートバイチーム「COOLS(クールス)」を結成。
歌手デビューから俳優の道へ
この「クールス」はやがて矢沢永吉さんがリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名になり、やがて「クールス」自体もその選抜メンバーからなるロックバンドとして、舘ひろしさんをボーカルに「紫のハイウェイ」でデビューを果たします。
そしてその活動は当時の東映の社長の目に留まり、誘われるまま「東映俳優センター」に所属。
1976年の映画「暴力教室」で俳優としてのキャリアをスタートさせます。
やがて、ドラマ「西部警察」シリーズの出演で渡哲也さんと出会い、1983年に自ら志願して「石原プロモーション」へ入社し、俳優としての地位を確立させました。
実家の医師は弟が継承
ところで父の舘栄一郎さんが開業していた実家の舘医院は、舘栄一郎さんがすでに2014年に89歳で亡くなっていて閉院になり、現在では実弟の舘啓二さんが、愛知県豊田市にて内科、循環器科の「舘ハートクリニック」を開業されています。
71歳で大学卒業
舘ひろしさんは、石原プロに入り「西部警察」シリーズなどで順調な俳優活動を歩みますが、実はその間も千葉工業大学には10年近く在籍していていったんは中退しますが、その後入学から51年を経て、2021年に千葉工業大学の特別卒業認定制度により71歳で卒業しました。
まとめ
舘ひろしさんの実家が愛知県の医師の家系だというのは知る人ぞ知るところだと思いますが、あらためて今に至る経歴を見てみると、随分と自由気ままな人生を送られているなと感心しないではいられません。
実家の家業にしばられず、自分の好きなことに素直に従うことで現在の地位を得られたのはなんともうらやましいですよね。
医師という家業は弟さんがしっかり継いでいらっしゃるということで、今後俳優としてどんな活動をされるのか舘ひろしさんの今後の活動がとても楽しみです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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