MENU

上川陽子外務大臣の夫は誰?東大卒のエリートだった?

今やポスト岸田として次期首相候補にも名前が上がる上川陽子外務大臣

5月18日には遊説先での演説で失言があったとして、自ら訂正する一幕があったようですが、今後の政局にも影響を及ぼすような自民党の重鎮であることは間違いありません。

ところで上川陽子外相はこれまでどのようなキャリアを歩んで来た人なのか。夫や家族はどういう人なのか。ちょっと気になったので今回調べてみました。

ぜひ最後までご覧ください。

目次

上川陽子外相の夫は大学の同級生?

https://www.u-fukui.ac.jp/news/3784/

上川陽子外相の夫は上川卓苗(かみかわたくなえ)さんです。

上川陽子外相の夫は元日本銀行職員の上川卓苗さんで、上川陽子外相とは同じ東京大学教養学部出身でクラスメートでした。

日本銀行福井支店の事務所長も務めたエリート行員でしたが現在は退職し、妻である上川陽子外相のサポート活動をされているようです。

年齢的には、上川陽子外相の同級生だったことから71歳前後だと思われます。

子供は2人

上川陽子外相には2人の娘さんがいるようです。

長女は真希さん

https://www.kamikawayoko.net/old/archive/profile/introduction/1994_0700.html

長女は真希さんといい、1980年頃にお生まれのようで2024年現在で44歳ぐらいと思われます。

この頃上川陽子外相は、三菱総合研究所に勤務していたようで育児を含め多忙を極め、当時のことを回想してこう語っています。

上の子のときには会社に勤めていて、育児時間というのもなかった。1時間とか30分とか授乳時間というのはあったんだけれども、結局それを取ることができなかったのね。仕事も残業で忙しかったし。だから、わりと無理しちゃった。おむつも、働くということについて後ろ指をさされないようにしたいと思ったものだから、紙おむつは絶対使わないと、布のおむつ!

上川陽子公式WEBSITE 月刊誌「ふぁみりす」1994年7月号

真希さん学生時代に米国に留学し、上川陽子外相と同じ国際関係論を学び大学院を卒業したあとは海外援助機関に勤務されているとのことです。

次女は悠希さん

https://www.kamikawayoko.net/old/archive/profile/introduction/1994_0700.html

次女は悠希さんといい、長女の真希さんとは年齢が11歳離れているそうです。

悠希さんの子育てについて上川陽子外相は、長女の真希さんの時とは違う気持ちで臨んだことを話しています。

下の子については、もうアバウトもいいところ。それでも子どもは育つし、むしろ型とかルールとかいうのを一切取りはずして、この時期はこうしなきゃいけないとか、この時期になるとこういう能力が発達するから、親はこういうふうに接するんだとかというような、頭で考えた子育てでなくて、スキンシップというか、その子がくっついてきたら受け止めてやる。本当に本能の部分でできるだけたくさんかかわりたいなという感じですね。

上川陽子公式WEBSITE 月刊誌「ふぁみりす」1994年7月号

上川陽子外相には2017年に生まれたお孫さんがいるとのことで、次女の悠希さんが出産して静岡の実家で一緒に住んでいるのではないかと思われます。

上川陽子外相とは

ここで上川陽子外相のプロフィールを見てみましょう。

  • 名前:上川陽子(かみかわようこ)
  • 生年月日:1953年3月1日
  • 年齢:71歳(2024年5月現在)
  • 学歴:私立静岡雙葉高等学校、東京大学教養学部、ハーバード大学ケネディ・スクール
  • 趣味:日本舞踊、合気道、コーラス、グランドゴルフ
  • 職歴:三菱総合研究所研究員、グローバリンク総合研究所代表取締役

上川陽子外相は、日本電信電話公社(現NTT)職員を父に、電話交換手の母を両親に、長女として静岡県静岡市で生まれました。2歳違いのお兄さんがいるとのことです。

地元の小学校時代は特に優等生だったわけはなく大声でよく笑う明るい女の子だったということです。

その後、私立の静岡雙葉中学校に進学しますが、この学校は「キリスト教の教えに基づき、高く、深い知性と精神性を備え、自立した女性」の育成を教育方針に掲げるカトリックの中高一貫女子学校でした。

ちなみに上川陽子外相はカトリック教徒です。

浪人の末東大へ進学

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/index.html

同級生の証言によると高校時代もそれほど目立った優等生ではないようでしたが、頭で考えるときも英語で考える(本人談)というほどだったらしく、英語の勉強に力を入れていたようです。

そして浪人の末東京大学文科三類に合格し教養学部へ進学しますが、東大には成績優秀で当然のように進んだわけではなく浪人を経て合格しています。

昭和40年代は女性の大学進学率はまだまだ低く、まして受験浪人となるとほとんどいない時代でしたが母親の後ろ盾があって進学できたと語っています。

大学では国際関係論を専攻しますが、そこでゼミ生として師事したのは雅子皇后の父親で、外務官僚だった小和田恆(ひさし)氏でした。

まとめ

上川陽子外相は、2024年5月に選挙候補の応援演説にて、一部誤解を生む発言をしたとかで批判を浴び、撤回するという騒動に巻き込まれているようです。

その発言の真意をめぐっては賛否があるようですが、あらためて上川外相の経歴を見てみるとそういう発言をしても不思議ではないと思わされます。

いずれにしても、素晴らしい伴侶を得て令嬢にも恵まれ、なにより政治家という多忙なな仕事と育児を両立させたということはやはり立派なことだと思います。

上川外務大臣が今後政界でどういう活躍をするのか見守りたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次