みなさんは1982年2月9日に発生した”日航機羽田沖墜落事故”をご存知でしょうか。
あるいは若い世代の方はご存知ない方が多いのではないでしょうか。
日本中を震撼させたこの事故は、ある意味で多くの異常性を持った稀にみる航空機事故でもありました。
そこで今回はこの事故のどこが異常だったのか少し調べて見ましたのでぜひ最後までご覧ください。
日航機羽田沖墜落事故とは
この墜落事故では乗員乗客174人中24人が死亡、149人が負傷しました。
原因は機長の異常操縦
この事故が異常だったのはその原因が機体の故障や自然気象などではなく、機長の故意による異常操縦だったということでした。
事故機の元機長は静かに余生を送っている?
現在75歳になるこの元機長は、妻とともに自宅がある神奈川県の葉山で静かに暮らしている、あるいは事故後、妻と離婚し、姉が面倒を見ているなど諸説あるようです。
なんでも日航からの退職金や年金を受給し、たまにコンサートに出かけるなど、もともと資産家だったそうで、現在は悠々自適な生活を送っているのだとか。
事故機の機長は精神疾患だった!
また1978年(昭和53年)ごろには家族にも不可解な行動をするようになり、「自分は日本人ではない」と家族に真剣に相談したり、1980年頃より幻聴の症状が表れ、10月頃からは体調不良に陥り乗務を取止めることもありました。
実際、操縦中にも荒いブレーキ操作や、旋回操作遅れによる飛行経路逸脱、推力不足状態での着陸復航などがあったため、管理部署より乗務予定を取消されるなどしたため、片桐清二機長はうつ病または心身症と診断されていました。
このため日本航空は機長を業務より外し、療養するように促しています。
しかし、片桐清二機長は4月には治療継続中だったにもかかわらず、「自律神経症で抑うつ状態だが、飛行観察時にはこれらの症状は見られず、機長として乗務しても問題はないと思われる」という医師の意見書をもとに、日本航空は1981年(昭和56年)4月より国内線副操縦士として職場復帰し、11月には機長業務に復活させていました。
事故前日にも異常行動
片桐清二機長は、この事故の前日にも羽田空港発福岡行の便に搭乗しており、異常と思える行動をとっていました。
- 管制官からの「滑走路に進入して待機せよ」との指示に対して「管制許可は来ているね」と言いながら無理やり離陸しようとした。
- 離陸後右旋回をした際、70度もの角度で旋回を行った。そのため機体は内側にスリップ、15秒で800フィート (240 m)ほど降下した。
- 「キャプテン、大丈夫ですか」と聞いた副操縦士に対して落ち着いた様子で「大丈夫です」と答えた。また福岡空港に着陸し降機する際、機長は副操縦士に「お見事」と言った。
これらの異常な行動に対しては副操縦士の機敏な対応で、間一髪で難をまぬがれました。
機長がエンジンを逆噴射!?
事故当日の1982年2月9日、福岡空港を離陸した日航350便はなんとか東京羽田沖まで飛行し、着陸態勢に入ろうとしますが、片桐清二機長は必要な副操縦士との確認応答をしようとせず、高度50メートルになった8時44分、自動操縦を解除したとたん、なんとエンジンを逆噴射しました。
副操縦士は必死に操縦桿を戻そうとしますが機体を戻すことが出来ず、8時44分07秒に日航350便は滑走路から510メートル先の羽田沖に墜落したのでした。
この事故により片桐清二機長は腰椎骨折、および軽度の打撲。副操縦士は腰椎および左肋骨骨折などの怪我を負いました。
その時に副操縦士が発した「キャプテン、やめてください!」という声がボイスレコーダーに残されていました。
事故の余波
この墜落事故では、片桐清二機長は業務上過失致死罪で逮捕されますが、精神鑑定の結果、妄想性統合失調症と診断され、心神喪失状態だったとして不起訴処分で釈放されます。
その後東京都立松沢病院に措置入院となり一年後に日本航空を諭旨解雇されました。
またこの事故では日本航空が、本来乗客の安全確保確認の義務があるべき機長を、乗客に紛れていち早く脱出させていたことが判明し、その面でも世間の批判を浴びました。
「逆噴射」「やめてください」が流行語に
この事故ではエンジンの「逆噴射」、や副操縦士が発した「やめてください」が流行語になるなど、社会全般にも思わぬ影響を与えました。
二日連続の大惨事
実はこの日航機羽田沖墜落事故の前日である1982年2月8日には、東京都千代田区にあったホテルニュージャパンで大規模な火災事故が発生しており、東京は2日続けて大惨事に見舞われるという大変な事態になったのでした。
まとめ
この1982年の大事故は発生からすでに42年が経過し、またその3年後の1985年には世界航空機史上最大級の乗客乗員520人が死亡する日航機墜落事故が発生したこともあって、今ではほとんど忘れられたような印象がありますが、1980年代に入って立て続けに発生した日本の航空機史上に残る大惨事でした。
この事故を引き起こした張本人である片桐機長が無罪放免で静かに余生を送っていることには釈然としない部分がありますが、現在となってはもはや議論のしようがありません。
今はただ犠牲となった方々のご冥福を祈りたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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