俳優の火野正平さんが去る10月14日に75歳で死去しました。
火野正平さんといえば、今では日本全国を自転車で巡るNHK BS番組での「にっぽん縦断 こころ旅」でのさわやかなイメージですが、デビュー間もない1970年代から80年代にかけては、かなりの女たらし、モテ男の代名詞として一時はワイドショーをにぎわしたお騒がせ俳優として有名な存在でした。
そこでそんな火野正平さんの人となりを振り返ってみたいと思いますのでぜひ最後までご覧ください。
大河ドラマで大ブレーク
ここで火野正平さんのプロフィールを見てみましょう。
- 名前:火野正平
- 本名:二瓶康一(にへいこういち)
- 生年月日:1949年5月30日
- 出身:東京都目黒区
- 身長:168センチ
- 血液型:A型
火野正平さんは、12歳から児童劇団に加わり、1962年にテレビドラマの「少年探偵団」でデビュー。
1970年代に入って、「木枯し紋次郎」「おれは男だ!」「刑事くん」「太陽にほえろ!」といった人気ドラマに端役で出演するようになり、1973年にNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で羽柴秀吉役を演じたことが大当たりとなり、大好評となったことで一躍人気俳優になりました。
この時に池波正太郎によって芸名を火野正平に変えました。
人気テレビドラマに多く出演
その後火野正平さんはテレビドラマに次々出演するようになり
- 「新・必殺仕置人」(1977年、テレビ朝日系)リスト
- 「服部半蔵 影の軍団」(1980年、関西テレビ制作)リスト
- 「ひまわりの歌」(1981年、TBS)
- 「長七郎江戸日記」(1983-1991年、日テレ系)
- 「Gメン75」(1976年、TBS )
- 「前略おふくろ様」(1975年 – 1976年、NTV)
- 「遠山の金さん」(1976年、NET/東映)
- 「吉宗評判記暴れん坊将軍」(1979年/東映)
- NHK連続テレビドラマ小説「芋たこなんきん」(2006年)
などの人気ドラマに次つぎと出演するほか、「土曜ワイド劇場」、「火曜サスペンス劇場」の常連俳優になります。
有名女優らと数々のスキャンダル
俳優として売れっ子になった火野正平さんは1970年に一般女性と結婚し一男一女も生まれますが、このころから次々と女優や歌手と浮名を流し始めます。
当時火野正平さんと名前が上がった有名人をざっと見てみても
- 新藤恵美
- 紀比呂子
- ホーン・ユキ
- りりィ
- 望月真理子
- 仁支川峰子
- 小鹿みき
- 染谷まさ美
- 松居一代
などなど実に多くの女性と浮名を流しました。
その後火野正平さんはプレイボーイの代名詞のような存在になり、DA PUMPのISSAさん、手越祐也さん、ロンブー・淳さんなど、女性関係が派手な芸能人は”平成の火野正平”などと呼ばれるほどでした。
この間、結婚していた女性とは入籍したまま、形式上では1972年離婚。
また1982年には、同棲していた一般女性と事実婚になり2人の女の子が生まれています。
現在ではまったく許されない状況ですね。
濱田岳は火野正平の息子?
このように女性関係が破天荒だった火野正平さんですが、それゆえに妙なうわさもあり、俳優の濱田岳さんは若い時の火野正平さんに似ているとして実は実子なのではと言われました。
そんなうわさに対して火野正平さんは、それがデマだとしながらも「でも(濱田岳は)かわいいから。息子やったらええなぁ」と言っていたとか。
まとめ
火野正平さんは女性関係のあまりの破天荒さから昭和・平成時代にはには「11股」「女の敵」「握手したら妊娠する」などと言われていた時期もありましたが、関係のあった女性から恨まれるようなことはなかったようで、
曰く「自分から交際女性を振ったことがなくすべて女性から振られた」と言い、その一方で
「私はただ、あの人と一緒にいるだけでよかった」
「あの人がともに暮らして、よかったと思ってくれるだけでいいんです」
とも言われていたというのですから、なんとも不思議というか、女性にモテる生来の才能を持った人物だったようです。
そして最期は紀行番組において、そのおおらかで男気のあるキャラクターで人気を博していた火野正平さんはある意味男性として理想的な人生だったと言えるかもしれません。
火野正平さんのご冥福をお祈りいたします。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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