みなさんは塩狩峠という場所をご存知でしょうか?
塩狩峠は北海道上川郡にある場所なのですが、ここは今から120年ほど前の明治42(1909) 年に、ある悲劇的な鉄道事故が発生した場所として知られている場所です。
ではこの事故はどんなものだったのか、どう悲劇的だったのか少し紹介したいと思いますのでぜひ最後までご覧ください。
塩狩峠とは
塩狩峠は、北海道上川郡比布町と上川群和寒町の境にある峠で、現在は国道40号線が通っています。

国道40号線は昭和平成と整備され現在の姿になっていますが、最初に仮定県道天塩線として道路が開通した1898年(明治31年)にはひどい悪路で、改良改修をへて穏やかな国道になりました。
また道路開通の翌年の1899年(明治32年)には、県道と並行して宗谷本線の前身の北海道官営鉄道天塩線が開通しました。
明治42年2月28日に発生した事故とは

北海道官営鉄道天塩線が開設した10年後の1909年(明治42年)2月28日、この線路を走行していた列車から突然1両の客車の連結部が分離してしまい坂を暴走する事故が発生しました。
乗客がパニック状態になる中、鉄道乗務員だった長野政雄氏は全力で緊急停車を試みますが車両はなかなか止まらず、長野は最後の手段として自らの体を車輪に絡ませ、車両の暴走を止めるという驚くべき行動に出ます。
そしてやっとのことで車両を停止させることに成功しました。
三浦綾子の小説で有名に

この鉄道職員のショッキングな殉職事故は永らく時の流れとともに忘れられていましたが、作家三浦綾子さんが1966年に執筆を開始した小説「塩狩峠」で一躍脚光を浴びることとなります。
この小説「塩狩峠」のなかでは、殉職した鉄道職員長野政雄氏をモデルにした主人公を永野信夫とし、敬虔なクリスチャンであったこと。
人徳者で人望も厚く周囲からも尊敬されていたこと。
長野政雄は当時婚約中で、事故当日は婚約者である吉川ふじ子の元へ結納に訪れる途中であったこと。
などの人物像で、この悲劇を淡々とした文体で記していきます。
それゆえ永野信夫(長野政雄)の崇高な人柄、厚い信仰心、自己犠牲の精神が読む者の心に重くのしかかってくるような感動を覚えます。
1973(昭和48年)に映画化

この一鉄道員の崇高で悲劇的な物語は、1973年(昭和48年)に松竹ワールドワイド映画にて映画化されています。
その作品の概要は以下となります。
キャスト
- 永野信夫:中野誠也
- 吉川ふじ子:佐藤オリエ
- 三堀峰吉:新克利
- 永野貞行:武内亮
- 和倉礼之助:近藤洋介
- 伊木一馬:滝田裕介 ほか
スタッフ
- 監督:中村登
- 製作:長島清、小梶正治
- 脚本:楠田芳子
- 音楽:木下忠司 ほか
事故にまつわる考察

ところで小説・映画で描かれている塩狩峠での悲劇的事故については、はたして本当に長野政雄氏は乗客の命を救うための覚悟の投身だったのか。
あるいはブレーキ操作中の転落事故ではなかったのかという疑念が読者からあったようです。
それに対して作者の三浦綾子さんは、事故発生当時長野政雄氏の部下だった人物に直接聞き取り調査を行っています。
そして、直前に乗客へ振り返りうなずいて合図をする長野政雄氏の姿を目撃した乗客の証言があることなどから、やはり長野政雄氏が覚悟のうえで列車に身を投げたと解釈したことを1983年の手記で述べています。
不思議な目撃談

またこの事故については、事故発生直後に教会での礼拝に遅れてやってきて祈りをささげる長野政雄氏の姿が目撃されていたという少し不思議な話も伝わっています。
まとめ
塩狩峠でのショッキングな事故については三浦綾子さんの小説やそれを原作にした映画作品を通してご存知だった方も多いかもしれません。
その一方、小説発表からすでに59年、映画化からも52年も経過した現在、すでにこの不朽の名作もすでに忘れ去られてきた感はぬぐえないと思います。
そろそろ現在のキャスト、スタッフでリメークされ、この長野政雄氏の厚い信仰心に基づいた自己犠牲の精神が現在によみがえることに期待したいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。