現在、能登地方での災害復興に奔走中の馳浩石川県知事。
馳浩知事といえば、元プロレスラー出身というちょっとユニークな経歴が知られていますが、その妻もモデル出身でその父親が有名作家だということをご存知でしょうか。
そんな馳浩知事の家族も調べて見ましたのでぜひ最後までご覧ください。
馳浩知事はプロレスラーだった?
ここで馳浩知事のプロフィールを見てみましょう。
- 名前:馳浩
- 生年月日:1961年5月5日
- 出身:富山県
- 身長:183センチ
- 体重:105キロ
- 学歴:専修大学文学部
馳浩知事は、専修大学時代にアマレスの全日本学生選手権で優勝し、1984年のロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場しました。
大学卒業後は星稜高校の国語の教師を務めていましたが、昭和60年に大学の先輩だった長州力さんにスカウトされてジャパンプロレスに入団し、プロレスラーとしてデビュー。
その後すぐにプエルトリコに遠征して活動したのちカルガリーに転戦し、マスクマンとして新倉史祐さんとタッグを組み「べトコン・エキスプレス」として人気を博します。
1987年に帰国後は新日本プロレスに参戦。
帰国第1戦でいきなり、必殺技のノーザンライト・スープレックスで小林邦明さんからIWGPジュニアヘビー級選手権を獲得し、以後、新日本プロレスのジュニア・ヘビー級の中心選手となりました。
参院選議員を経て石川県知事へ
1995年7月に、当時、自民党幹事長だった森喜朗氏にスカウトされて、第17回参議院選挙に石川県選挙区から自民党の推薦を受けて無所属で立候補して初当選し、参議院議員となります。
しかし一方で1996年に一旦プロレスを休業宣言するものの、今度は全日本プロレスに練習生扱いで参加。
プロレスラーと国会議員を兼任するという異例の活動を行っていましたが、2006年8月17日に両国国技館でプロレスラー引退興行を行なった後に政治家に専念しました。
2022年3月に任期満了に伴って行われた石川県知事選挙への出馬を表明し、3月13日に投開票の結果石川県知事に初当選しました。
妻は元モデルだった高見恭子
馳浩知事の妻の高見恭子さんは、14歳の時に、雑誌「MC SISTER」のモデルとしてデビュー。
その後タレントとして
- オレたちひょうきん族(フジTV)
- 情報プレゼンター とくダネ!(フジTV)
- ジャスト(TBS)
- はなまるマーケット(TBS)
- ためしてガッテン(NHK)
などの地上波番組に出演しました。
馳浩知事とは二度目の結婚のようです。
父は芥川賞作家・詩人の高見順
高見順さんは、私生児として生まれた暗い過去や左翼活動からの転向体験を作品に書き、第1回の芥川賞候補にもなるなど、戦後の左翼文学の一役を担う無頼派の作家、詩人でした。
高見恭子さんも私生児だったようです。
まとめ
馳浩知事は大臣経験者として史上二人目の県知事ということですが、いままで国会議員としてはプロレスラーとの二足のわらじで、これといった功績が残せたとは言えないため、ここは議員閣僚時代の人脈を武器に、現在震災復興が滞っている石川県能登地方の一刻も早い復興の実現に向けて活躍してほしいと思います。
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