2024年5月に「女性がこどもをうまずしてなにが女性か」という発言が物議を呼び、問題発言として自身で取り消すなど、渦中の人となっている上川陽子外務大臣。
そんな上川陽子外相の出生にまつわるちょっと妙なうわさがあるようなので今回調べてみました。
ぜひ最後までご覧ください。
笹川良一とは何者なのか?
時代は令和に移り、今では笹川良一氏のことを知らない人も多いと思いますが、あらためて笹川良一氏がどういう人物だったのか見てみましょう。
- 名前:笹川良一(ささかわりょういち)
- 生年月日:1899年5月4日
- 没年月日:1995年7月18日(96歳没)
- 出身:大阪府
- 学歴:茨木市立豊川小学校
- 経歴:日本船舶振興会(のちの日本財団)会長・国際勝共連合会長
笹川良一氏は表向きには(財)日本船舶振興会(現・日本財団)を設立し、競艇(ボートレース)を創設した人物として知られていますが、戦前は衆議院議員として、また戦中戦後の昭和時代に永らくその名を轟かせた右翼活動家でした。
また昭和時代には(財)日本船舶振興会(現・日本財団)のTVCMでお茶の間にも有名な人物でした。
笹川良一氏は1995年に96歳で死去しましたが、その遺産総額は53億4千万円にものぼり、相続税は7億5千万円だったということです。
上川陽子外相は笹川良一の娘?
うわさの発端は「副島隆彦の学問道場」?
この”上川陽子外相は笹川良一の娘”だとする説は、評論家の福島隆彦さんが2024年3月20日に自身のサイト「副島隆彦の学問道場」にて取り上げた際の記事内にて披露されています。
上川陽子は、おそらく あの日本右翼の巨頭で、フィクサー(黒幕)であった笹川良一(ささがわりょういち。1995年に96歳で死去)の実の娘である。
自民党の上層の人たちの間では、このことは知られていることだ。 上記に載せた、ふたりの顔を並べてみると、その目つきの鋭さが、そっくりである。
副島隆彦の学問道場より抜粋
副島隆彦さんは、独自の思想理論を展開する政治経済評論家として知る人ぞ知る存在ですが、この説も荒唐無稽というか、にわかには信じられないような話ですね。
もっとも副島隆彦さんも、このうわさを10年ほど前から聞いていたというのですから、話の出所は他にあるのかもしれません。
しかもこの話は自民党上層部ではよく知られているというのですからちょっと驚きです。
上川陽子外相は笹川良一の妾(めかけ)の娘?
副島隆彦さんによると、上川陽子外相の母親は「宮川鎮江」という女性だということです。
宮川鎮江さんは笹川良一氏の正妻ではなく、「東京の奥様」と呼ばれていました。
衆議院議員だった息子の笹川堯さんも妾の子供だったということで、昭和のフィクサーはこれぐらいのことは何でもないことだと副島隆彦さんは述べています。
実際に顔が似ている?
また上川陽子外相は笹川良一親子説の根拠として副島隆彦さんは、実際本人の顔が似ていると述べています。
副島隆彦さんはまるでそっくりだとしていますが、これについては見る人の判断次第ですね。
まあ普通に見て鼻は似ていると言えなくもないが、目元は似ているとはまったく思えませんね。
上川陽子外相の両親は一般人
実際、上川陽子外相の父親は電信電話公社(現NTT)の職員、母親は電話交換手だったことがわかっています。
また旧姓は竹田といい、お兄さんが1人いるようです。
こういうはっきりとした公式の情報がある以上、やはり”上川陽子外相、笹川良一親子説”は単なるデマではないかと思われます。
まとめ
この記事では、上川陽子外相が昭和の大物フィクサーだった笹川良一氏の娘だったといううわさについて少し調べてみました。
どうもそういわれる根拠自体があまり信ぴょう性のあるものではなく、単なるうわさ話の域を出ないようでした。
したがってやはりそういう事実はないように思われます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
コメント