9月12日に初公判が開かれた”紀州のドンファン事件”。
いまや”紀州のドンファン”というだけで、あの事件のことかと思い浮かぶほど有名になった感があります。
ところでこの事件の主役というべき被害者の”紀州のドンファン”とはいったいどういう人物なのか。
その名前の割にはあまり詳しくは知られていないのではないでしょうか。
そこでこの謎に満ちたこの人物についてすこし調べて見ましたのでぜひ最後までご覧ください。
紀州のドンファンは野崎幸助
ここで野崎幸助さんのプロフィールを見てみましょう。
- 名前:野崎幸助
- 生年月日:1941年(昭和16年)4月13日
- 出身:和歌山県田辺市
- 職業:実業家、不動産業、著述業
1941年(昭和16年)和歌山県田辺市で七人兄弟の三男として生まれた紀州のドンファンこと野崎幸助さんは、地元の中学に通っていましたが、勉強も苦手で小柄でいじめられたりと、卒業後すぐに家業の酒店で働き始めました。
避妊具を売り歩く?
中学卒業後に働き始めた野崎幸助さんは家業の酒店を手伝っていましたが、店の商品をスナックに売り歩くなど商魂のたくましさを見せ始め、やがてある商品の訪問販売を始めるようになります。
コンドームの実演販売!?
それが当時まだそれほど普及していなかったコンドームでした。
野崎幸助さんはなにがきっかけだったのかコンドームの訪問販売を思い付き、夫が留守の家を訪問し、主婦を相手の「実演販売」という、今の時代では到底考えられないような方法で売り歩き、飛ぶように売りさばきました。
まだ20代の野崎幸助さんは体が動くままに働き、当時のサラリーマン月収の3倍を稼いだといいます。
最初の結婚は30代?
初めての結婚は自身が30代のころで、お相手は銀座のホステスでした。
しかしその後離婚し、2002年に30歳以上離れた六本木の元ホステスと再婚します。近所でも評判の美女で、結婚生活は10年続いたそうですが再び離婚します。
離婚してからも嫌がらせで家に大量の梅干しを置いたり、「帰ってこい」というビラを配るといった‟異常な執着”を見せており、警察から接近禁止命令が出ていたようです。
金融・不動産業で財を成す
コンドームの実演販売という商法で一儲けした野崎幸助さんは、その儲けを元手に今度は不動産業や金融業(高利貸し)を始めます。
地元の関西だけでなく、東京近郊や丸の内のオフィス街でも行っていたようです。
当時はまだ貸金業の規制が緩かったこともあり、莫大な資産を築くことになりますがその一方、悪質な取り立てで親族からも孤立するようになります。
自身も一度脱税で告訴されたこともあったようです。
当時高利貸しは、サラ金といわれ社会問題にもなりました。
4000人の女性に3億円を貢ぐ!?
金融業その他で財を成した野崎幸助さんは、北新地(大阪の有名歓楽街。高級店が多い)のクラブに通うようになります。
そして不特定多数の女性を相手に豪遊するようになります。
2016年12月に著した自叙伝「紀州のドンファン」によると、なんと
のだそうです。
窃盗事件の被害で一躍有名に
みずからその破天荒な半生を自叙伝で著し、知る人ぞ知る人物となっていた野崎幸助さんですが、2016年2月には、デートクラブで知り合った27歳の女性に約6000万円相当の金品を持ち逃げされる窃盗被害に会います(事実否認により不起訴処分)。
この事件がテレビのワイドショーなどのマスコミに大々的に報道されたことで”紀州のドンファン”という名前はいちやく全国的にも知れ渡ることになります。
しかし当の被害者である野崎幸助さんは
と語り
と豪語しました。
再婚して3か月後に謎の急死
多くの女性と浮名を流した野崎幸助さんですが、2018年2月に55歳年下の22歳(当時)の女性と再婚します。
そのプロポーズの言葉が
だったそうです。
ところが、結婚して3か月後の2018年5月末に、夕食後に自室で死亡しているのを妻と家政婦に発見されます。享年77歳。
発見されたときにはほとんど全裸状態だったとか。
体内から覚せい剤を検出
その後の司法解剖の結果、体内から致死量を上回る覚せい剤が検出されたことから、死因は多量の覚せい剤を一度に摂取したことによる急性覚醒剤中毒であると結論付けられました。
しかし、その後の捜査でその死にはいくつもの不可解な点が発見されています。
その不可解な点とは
- 野崎幸助さんは以前より薬物には手を出さないと発言していた。
- 毛髪の検査で覚醒剤は検出されなかったことからも常習者ではなかった。
- 注射痕や吸入器具なども見つかっていない。
- 野崎幸助さんの急死の前に、愛犬が変死していた。
などの点で、野崎幸助さんの家族を重要参考人として慎重な公判が始まっています。
まとめ
いわゆる”紀州のドンファン”事件の裁判が9月12日に始まりましたが、最初にこの名前をマスコミで聞くようになってからすでに6年が経過しました。
この事件に異常な印象を感じるのは、被害者の野崎幸助さんの異様な人物像もさることながら、すぐに解決されそうでいてまったくその様子がなく、6年もたってようやく裁判が始まったという点かもしれません。
いずれにしても、謎に満ちたこの事件の公判の状況を注意深く見守りたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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