往年の大女優久我美子さんが2024年6月9日に、誤飲性肺炎のため亡くなりました。享年93歳でした。
久我美子さんは女優の一人としてとして戦後間もない銀幕を飾る大スターでしたが、なにより名門華族の出身ということで有名な人でした。
そこで今回は久我美子さんの若い頃の名画を振り返るとともに、華族出身の令嬢がどうして俳優になったのか調べてみましたのでぜひ最後までご覧ください。
久我美子とは
ここで久我美子さんの経歴を見てみましょう。
名前 | 久我美子(くが よしこ) |
本名 | 小野田美子(おのだ はるこ) |
生年月日 | 1931年1月21日 |
没年月日 | 2024年6月9日 |
享年 | 93歳 |
出身地 | 東京都 |
久我美子さんは、侯爵、貴族院議員だった久我通顕(こが みちあき)氏の長女として、東京市牛込(現・東京都新宿区)に生まれました。
久我家は村上源氏の流れをくむ華族の家柄でした。
家族の困窮救済のため映画界へ
ところが当時久我美子さんの一族は、祖父と父親が借金の末、事業に失敗して屋敷を差し押さえられたうえに詐欺グループにかかわったことで警視庁から厳しく取り締まりをうけるなど、経済的に厳しい状況にありました。そんな一族の窮状を救いたいという思いから、久我美子さんは女子学習院在学中でしたがに第一期東宝ニューフェースに合格したのち、女子学習院を中退し映画界に入りました。
ちなみに東宝の同期には、三船敏郎、堀雄二、若山セツ子、堺左千夫といった俳優がいました。
そして1947年に「四つの恋の物語」でデビューします。
ここで久我美子さんの代表的な出演作を見てみましょう。
久我美子名画5選
酔いどれ天使(1948)
「酔いどれ天使」は黒澤明監督の7作目の作品で、三船敏郎さん演じる貧乏な酔いどれ医者と、闇市を支配するやくざとのぶつかり合いを通じて戦後の混乱した社会風俗を描いた作品で、久我美子さんは可憐なセーラー服の少女を演じています。
第22回キネマ旬報ベスト・テン第1位でした。
また逢う日まで(1950)
久我美子さんの作品の中でもっとも有名になった名作で、戦争によって引き裂かれた若い恋人の姿を描き、戦争の残酷さを訴えた作品で、主演の岡田英二さんとの別れ際に列車のガラス越しのキスシーンが有名になりました。
第24回キネマ旬報ベスト・テン第1位でした。
女の園(1954)
全寮制の女子大学を舞台に、民主主義に隠れた日本の封建主義を描いた力作で、京都にある女子大学での、厳しい規律で女性を育成する学園での女学生たちの奮闘ぶりを描き、久我美子さんは女子学生の一人を演じています。
彼岸花 (1958)
小津安二郎監督初のカラー作品で、娘の結婚に悩む父親と娘との心の葛藤を描く文芸調作品で、久我美子さんは脇役として出演しています。
ゴジラvsビオランテ(1989)
久我美子さんは、黒澤明や小津安二郎といった名匠と数々の名画に出演しましたが、1989年には怪獣映画「ゴジラ対ビオランテ」にも出演し、官房長官を演じました。
これは久我美子さんの夫が、1954年の「ゴジラ」で主役を演じた平田明彦さんだったことから実現したもので、当時実際に森山真弓さんが史上初の女性官房長官に就任した時期だったことでも話題になりました。
まとめ
久我美子さんは2000年代にはいってから晩年は、テレビへほとんど出演しなかったこともあり平成の若い世代にはあまりなじみがなかったかもしれませんが、上述のように戦後まもなくの映画界を飾ったスターの一人であり、大女優でした。
享年93歳ということで大往生を遂げられましたが、また久我美子さんの往年の名画がBS放送などでも放送されるかもしれません。
ぜひ観てみたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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