大山のぶ代さんが9月29日に老衰のため亡くなりました。
享年90歳の大往生でした。
大山のぶ代さんといえば2005年に引退するまでドラえもんの声を26年の長きにわたって演じ、ドラえもんの声は大山のぶ代さんの代名詞のようになっていました。
ところで大山のぶ代さんは、もちろん当初からアニメの声優として活動していたわけではなく、そのキャリアのスタートは劇団俳優としてでした。
そこでどういう経緯でドラえもんの声優になったのかすこし調べて見ましたのでぜひ最後までご覧ください。
大山のぶ代は劇団俳優だった
ここで大山のぶ代さんのプロフィールを見てみましょう。
- 名前:大山のぶ代
- 本名:山下 羨代(やました のぶよ)
- 生年月日:1933年10月16日
- 没年月日:2024年9月29日
- 享年:90歳
- 出身:東京府東京市(現:東京都渋谷区)
- 学歴:東京都立三田高校
大山のぶ代さんは、なんと四世代が同居する13人家族の造り酒屋の末っ子として東京に生まれました。
小さい頃よりその声は独特で、幼稚園では声を出すだけでまわりの大人が振り返るほどだったそうです。
しかし自分の声が個性的なことはあまり気にしないでとてもよくしゃべる子供だった大山のぶ代さんは、小中学校のころから出席の返事をするたびに先生に変な顔をされたり、声を出すとクラスメートに笑われたりと悩んだ時期もあったそうです。
逆境をはねのけて演劇部へ
自分の声に悩んでいた大山のぶ代さんでしたが、そんな様子を見た母親から「声が変だからといって、その弱いところをかばってばかりいたらもっと弱くなってしまう。声を出すような部活動をしなさい」と言われ、放送研究部に入部してアナウンスをしたり、ラジオドラマを作ったりしたことから演劇部への勧誘を受け入部することになります。
そして学園祭での演劇「シンデレラ」での継母役でデビューすることになります。
俳優座養成所に合格
演劇部での活動は、最初は周囲でバカにする人もいたようですが、やっているうちに演技の面白さにハマるようになり、そんな周囲の声も気にならなくなったといいます。
やがて演劇には定年もなく、年をとっても続けられる仕事だと思った大山のぶ代さんは、母親が亡くなってしまったことをきっかけに家を出る決心をし、さまざまなアルバイトをしながら俳優座養成所に合格し研究生になりました。
なお同期の研究生には、水野久美、露口茂、井川比佐志、田中邦衛といったそうそうたる俳優陣がいました。
洋画の吹替えから声優の道へ
俳優座養成所での生活は、かなり大変なものだったようですが、1956年にNHKのドラマ「この瞳」で俳優デビューした大山のぶ代さんは演技の幅を広げようと選り好みせずに役柄に取り組み、シリアスな役はもちろん、俳優の渥美清さんやハナ肇さん、フランキー堺さん、先代の林家三平さんらと共に、喜劇のようなこともやったということです。
そのうちまわりから「なかなか面白い」「新劇出身の喜劇役者」と言われるようになり多くのドラマやお笑い番組に出演。
また、知人の関係者から「あなたの声は少年の役に向いている」と独特のハスキーボイスを買われ、声優としての活動も始めるようになります。
そして1957年9月に放送された「名犬ラッシー」の吹き替えで声優としてデビュー。
その後、1960年に人形劇「ブーフーウー」でブー役を演じたのがきっかけになり、声優の仕事が増えてくるようになりました。
昭和アニメに欠かせない存在に
声優の仕事が増えてきた大山のぶ代さんは1965年、テレビアニメ「ハッスルパンチ」で初主演をつとめ、その後多くの昭和アニメでも声優を務めました。
その主だったものを見てみると
- ハッスルパンチ(1965)主演
- スーパージェッター(1965)
- ハリスの旋風(1966-1967)主演
- 黄金バット(1967)
- リボンの騎士(1967)
- 巨人の星(1968)
- 妖怪人間ベム(1968)
- サザエさん(1969)
- ハクション大魔王(1969)
- のらくろ(1970)主演
- 国松さまのお通りだい(1971,1972)主演
- ハゼドン(1972)主演
- ドラえもん(1979)主演
など多くの名作アニメに出演しています。
サザエさんのカツオも大山のぶ代さんでした。
26年間ドラえもん一筋
大山のぶ代さんは、人を傷つけるシーンが増えてきたことや俳優業に専念するため、一時期アニメ声優から距離を置いていました。
しかし、かつて主演を演じた「ハリスの旋風」のスタッフからドラえもんをすすめられ、原作を読んでみたところ、とても面白く原作本14冊を一気に読み、ドラえもんの可愛さや、大人も楽しめるSF的な作品だったことから、引き受けたということです。
現在では押しも押されぬ代表作となったドラえもんですが、演じ始めた当初は「自分の演技で合っているのか」と不安になり心配にもなったということで、原作者の藤子・F・不二雄さんにはじめて会った際に「ドラえもんの声、あんな具合でどうですか?」と尋ねたところ、「ドラえもんって、ああいう声をしていたんですね」と言われ、「役者冥利に尽きるホメ言葉だと思いました」と演じていく自信にもなったそうです。
それ以降ドラえもん以外のアニメ作品は引き受けることはありませんでした。
大病がきっかけで引退
26年間ドラえもんの吹き替えを休まなかった大山のぶ代さんは、2001年に直腸がんで長期入院することになりましたが、この時も別録り後録りで乗り越えます。
しかし、今後もしものことがあった際には、大切なドラえもんに傷がついてしまう。まわりに迷惑がかかってしまうと降板することを考えましたが、スタッフの説得で続投します。
しかしこのことをきっかけに、関係者のあいだでは後継者問題が言われるようになりました。
当初は合成音声による交代という案も出ましたが、大山のぶ代さんから「合成なんかじゃなくて、あの子(ドラえもん)の気持ちを理解してくれる人に託したい」と話が出たため、2004年春にスタッフ側から交代を打診され、他の声優陣とも話し合いを行った結果、2005年3月にキャスト全員と共に卒業することが決定します。
そして2005年3月18日に放送された「ドラえもん オールキャラクター夢の大集合スペシャル!!」が最後にドラえもんを演じた作品となりました。
まとめ
2024年7月にのび太役だった小原乃梨子さんが亡くなったと思ったら、今度はとうとうドラえもんの大山のぶ代さんが逝ってしまいました。
思えば一つのアニメキャラクターにひとりの声優のイメージがこれほど強く結びついた例もないのではないかと思われるほど、ドラえもんと大山のぶ代さんの演技は一体化したものでした。
このところ昭和時代に慣れ親しんできたアニメの声優さんの訃報が相次いでいますが、そのなかにあって、みずから身を引き、ドラえもんのイメージを損なうことなく、新たな後継者に道を譲った大山のぶ代さんの去り際は見事なものだったと言えるかもしれません。
ドラえもんを見ていた昭和時代を懐かしむとともに、つつしんで大山のぶ代さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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