2024年3月29日に、元NHKアナウンサーだった鈴木健二さんが亡くなりました。
鈴木健二さんは長らくNHKの顔として活躍した看板アナウンサーで、そのユニークな発言や著述活動でも人気を博し、1970年代~1980年代にかけては文化人アナウンサーとして時の人でした。
しかし4,50代以上の方が鈴木健二さんで何より記憶に残っていることは、何といっても1984年NHK紅白歌合戦の大トリでの一幕ではないでしょうか。
そこで今回はあの紅白歌合戦において一体なにがあったのか、振り返って検証してみたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
1984年紅白歌合戦で何があったのか?
この1984年の紅白歌合戦は、総合司会に急遽代役だったNHKの生方恵一アナが担当し、白組の司会として担当したのが、やはり代役で歌謡界に縁がなくカラオケはおろか歌手にも曲にも何の知識もない鈴木健二アナでした。
1984年紅白はハプニング続出
司会者の人選から混乱するというなかで本番を迎えたこの年の紅白でしたが、なぜかステージが始まってからも
- 当時大関の若島津関との結婚を機に引退とうわさされていた高田みづえは実質最後になるとの思いから、「秋冬」の歌唱中に感極まり、思わず泣きながら歌った。
- 水前寺清子と細川たかしは、共に「浪花節だよ人生は」を歌い、紅白史上初の同曲対決だったが、細川たかしはいきなり出だしから歌詞を間違えてしまい、「すいません、間違えました」とその場で謝った。
などのハプニングがありました。
前代未聞のアンコール
舞台は波乱含みではありましたが予定の進行をこなし、いよいよ終盤に差しかかります。
そして会場はもちろんテレビの前の視聴者も見守るなか、都はるみさんは最後の熱唱「夫婦坂」を歌い切りました。
ところがここで感極まった都はるみさんは歌い終わっても顔を上げることが出来なくなってしまい、30秒近くじっとしてしまいます。
するとなんと客席からアンコールの合唱が沸き上がったのです。
そこで鈴木健二さんは突如驚きの行動に出ます。
「私に1分間時間をくださーい!!」
突然こう言いだし、都はるみさんに「もう一度歌ってもらうよう交渉いたしまーす」と大演説を始め、うつむいたままの都はるみさんを説得し始めます。
そして始まる「好きになった人」のイントロ。
しぶしぶ歌い出す都はるみさん。
思わぬ展開にうまく歌えない都はるみさんを打ち消すような場内大合唱。
当時のテレビ視聴者はこの光景を唖然としながら見ていたのでした。
総合司会者も大失態
このある意味異常な状況に混乱したのか、総合司会だった生方恵一アナがここでまた、紅白史上に残る大失態を演じてしまいます。
番組終盤で得点集計に移ろうとした生方恵一アナは
「もっともっと、沢山の拍手を、ミソラ…(首を振りながら絶句、一瞬固まる)、ミヤコさんに、お送りしたいところですが…何ぶん限られた時間です。審査の得点の集計に入りたいと思います」と、都はるみさんの名前を美空ひばりと言い間違えてしまったのです。
ここでもまたテレビの前の視聴者は唖然としてしまうのでした。
結局引退は取り消しに
この後、都はるみさんは第40回(1989年)にも出場し「アンコ椿は恋の花」を歌ったのを機に翌年1990年再び歌手活動を再開。
10年後の第45回(1994年)にはなんと再び大トリを務めたのでした。
鈴木健二とは
ここで鈴木健二さんのプロフィールを見てみましょう。
名前 | 鈴木健二 |
出身 | 東京都墨田区 |
生年月日 | 1929年1月23日 |
没年月日 | 2024年3月29日(95歳没) |
学歴 | 東北大学 |
NHKチーフアナウンサーとして活躍
鈴木健二さんは、東京の生まれ。東北大学文学部を卒業後、友人の誘いで、当時一番志望者が少なかった職業として、アナウンサーがどういう仕事かも知らずにNHKを受験し採用されたということです。
アナウンサー時代には、黒四ダムからの生中継や北海道で観測された皆既日食、アポロ11号の月面着陸の生中継司会といった大型中継番組で実力を発揮し、NHKのチーフアナウンサーとしての地位を確立し、7時のニュースキャスター、「こんにちは奥さん」「70年代われらの世界」「歴史への招待」といった名番組の司会を担当しました。
なかでも1981年から1988年まで続いた「クイズ面白ゼミナール」はその、上から目線の口調が話題となりNHKの人気番組となりました。
著書もベストセラーに
鈴木健二さんは多数の本を出したことでも知られ、中でも1982年に出版された「気配りのすすめ」(講談社)は単行本332万部、文庫本を含むと400万部以上の大ベストセラーとなりかなりの話題になりました。
兄は映画監督の鈴木清順
また鈴木健二さんの兄は「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」、「夢二」など独特の映像表現で知られる映画監督の鈴木清順さんで、その映像表現は「清純美学」として世界中の監督に強い影響を与えています。
まとめ
鈴木健二さんは今ではすっかり過去の人になってしまいましたが、昭和時代はNHKの顔として、テレビの代名詞と言っていいような存在の人でした。
そしてその存在感を視聴者に決定づけたのが、例のNHK紅白歌合戦での迷司会者ぶりだったと思います。
都はるみさんとのエピソードは今でもテレビ放送史に残るエピソードとしてこれからも語り継がれるでしょう。
昭和テレビを象徴する顔の一人だった鈴木健二さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
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