朝ドラ「虎に翼」で、主役佐田寅子の明倫大学時代の学友だった花岡悟が急死したことが判明しました。
なんと死因は餓死だったとか。
ところでこの花岡悟にはモデルがおり、実在の裁判官だと言われているようです。
そこで今回は花岡悟のモデルが誰なのかについて調べてみましたのでぜひ最後までご覧ください。
花岡悟のモデルは山口良忠?
ここで山口良忠がどういう人物だったのか見てみましょう。
名前 | 山口良忠(やまぐちよしただ) |
生年月日 | 1913年11月16日 |
没年月日 | 1947年10月11日 |
享年 | 34歳 |
出身 | 佐賀県 |
職業 | 裁判官 |
学歴 | 京都帝国大学 |
山口良忠は戦後の食糧難の時代に、闇市のヤミ米を拒否し、食糧管理法を守るために配給食糧だけでしのぐことに徹し、結果栄養失調で餓死したことで知られる裁判官でした。
餓死により死亡
山口良忠は1946年に東京区裁判所の経済事犯専任判事になりますが、そこでヤミ米などの所持で食糧管理法違反で検挙、起訴された被告人の裁判を担当しました。
そのため、配給食糧以外に違法なヤミ米を食べなければ生きていけないのにそれを取り締まる自分がヤミ米を食べるわけにはいかないという思いによりヤミ米を拒否するようになったのでした。
最初は代わりになるイモの栽培などでしのいでいたようですが配給でのわずかな食料は子供たちに与え、自身はとぎ汁のような粥のみ食べ続けたことにより栄養失調になり、初期の結核のため33歳の若さで亡くなりました。
当時山口良忠のとった行動は評判となり、その世間の評価も賛否両論になりました。
死亡年は同じ
花岡悟も山口良忠が亡くなった1947年に死亡したことになっています。
佐賀県の出身だった
ちなみに「虎に翼」の花岡悟は佐賀県生まれということになっていますが、山口良忠も佐賀県出身ということで共通しています。
佐田寅子のモデルと接点はない
このような理由で、花岡悟のモデルではといわれている山口良忠ですが、では佐田寅子のモデルである三淵嘉子と接点があったかというと、残念ながら特に接点はなかったようです。
出身大学も、花岡悟が帝大に進めず明律大学へ進んだという設定であるのに対して、山口良忠は京都帝国大学出身であることからなんら共通点はありません。
まとめ
今回は、「虎に翼」の花岡悟が飢えて急死するという展開から、同じく自分の信念で餓死した実在の裁判官山口良忠がモデルではないかという説について考察してみました。
確かに、餓死する裁判官で、しかも同じ佐賀県出身という共通点から、山口良忠がモデルだと言えなくもないですね。
ただ、一方で二人の生い立ちや境遇は全く違っており、何より主役との接点が全くなかったことからモデルとするには無理があるように思います。
当時こういう信念を持った裁判官もいたという象徴として花岡悟を設定したということではないかと思われます。
いずれにしても今後も「虎に翼」の展開から目を離せないようです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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