昭和を代表する大女優だった岸恵子さんが93歳で死去しました。
岸恵子さんと言えば、かつて出演した映画でのファッションが大ブームになったことで有名でした。
そしてそのスタイルは後年、何人かの俳優に引き継がれました。
ではまさに一世を風靡したそのファッションスタイルとともに岸恵子さんの足跡を振り返ってみましたのでぜひ最後までご覧ください。
昭和の国際派女優岸惠子とは

ここで岸惠子さんのプロフィールを見てみましょう。
- 名前(本名):岸惠子(きし けいこ)
- 生年月日:1932年8月11日
- 没年月日:2026年8月7日
- 享年:93歳
- 出身地:神奈川県横浜市
- 身長:161センチ
横浜育ちの岸惠子さんは、父親が国語教師ということもあってもともと作家志望で川端康成を愛読していましたが、高校時代にフランス映画の「美女と野獣」を観たことから映画に関心が移り、俳優を目指すようになりました。
そして、高校時代に見学に訪れた松竹大船撮影所で、女子高校生役を探していた映画監督にスカウトされ、1951年に松竹に入社。
1951年の『我が家は楽し』でデビューしました。

当初は辞退しましたが大学入学までの一本だけという約束だったそうです。
『君の名は』が大ヒット
岸恵子さんといえば主演した映画『君の名は』が有名ですが、これは当初連続で放送されたラジオドラマで、放送が始まるとそれを聴くために銭湯にいた女性客が一斉に帰ってしまうほど大人気の番組でした。
そしてその大人気を受けて松竹が1953年に映画化したのが岸恵子さん主演の『君の名は』でした。
真知子巻きとは


映画版『君の名は』が大ヒットし一躍スターの仲間入りとなった岸惠子さんでしたが、中でも劇中で演じた氏家真知子がしていたストールが「真知子巻き」として当時の女性の間で大流行となりました。



実際はロケ地の北海道があまりに寒くてアドリブでストールを巻いていたそうです。
何度かドラマ化された『君の名は』
「真知子巻き」が大流行し、岸惠子さんの代表作となった『君の名は』ですが、以降何度かテレビドラマ化されました。
1962年フジテレビ版


1962年から1963年にかけて30分ドラマで放映。主演は北林早苗さんでした。
1966年日本テレビ版
1966年5月から1967年1月まで、日本テレビで15分の連続ドラマで放映され、主演は萩玲子さんでした。



なんと216回もの連続ドラマでした。
1976年テレビ朝日版


1976年(昭和51年)10月1日から12月24日まで、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列にて放映されました。全13回。



主演は酒井和歌子さんでした。
1991年NHK朝ドラ版


多くの人の記憶に残っているのは、1991年にNHKで放映された朝ドラ版ではないでしょうか。
このNHK版では大ヒットした「おしん」以来の一年間の放送で、主演したのが鈴木京香さんでした。



鈴木京香さんはこれがテレビドラマデビューでした。
『君の名は』以降フランスに移住


映画『君の名は』で一躍スターになった岸惠子さんでしたが、その氏家真知子役があまりに有名になりすぎてしまい疎ましく感じていたようで、その後久我美子さん、有馬稲子さんらと1954年に女性だけのプロダクション「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を立ち上げました。
フランス人映画監督と結婚


「文芸プロダクションにんじんくらぶ」にて何本かの映画を製作した岸惠子さんでしたが、1955年にシンガポールにて開催された第2回東南アジア映画祭で出品上映された『亡命記』を観ていたフランス人の映画監督イヴ・シャンピ氏から自作の『忘れえぬ慕情』の出演依頼を受けます。
イヴ・シャンピ氏のファンだった岸惠子さんはそれを快く引き受け、フランス語習得のため1957年にフランスへわたりそのまま同年5月にイヴ・シャンピ氏と結婚します。



フランスでの結婚式は川端康成が立会人だったそうです。
フランスと日本を往復しながら活動
フランス人と結婚しフランスに居を構えた岸惠子さんは、フランスの文化人とも交流を深め、フランスと日本を往復しながら俳優業を行うほか、映画プロデュース、著述業などを行いました。
・ジャン=ポール・サルトル
・シモーヌ・ド・ボーヴォワール
・アンドレ・マルロー
・ジャン・コクトー
まとめ
岸惠子さんは年齢のこともあり第一線を退かれていたこともありすでに過去の人といった印象を受けますが、フランスと日本を股にかけ積極的な活動をした戦後の国際派スター俳優の先駆けのような人でした。
今後、テレビなどでその過去の活躍が紹介される機会が増えるかもしれませんが、その偉大な功績を振り返りたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
